中島歯科クリニック

中島歯科クリニックは、地域医療に貢献して都会との地域医療格差を無くすために、新しい歯科治療を提供する歯科医院です。

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松代城(海津城)

2月もそろそろ終盤になってまいりまして

信州上田、まだまだ寒さはありますが、

陽射しが日に日に春の気配を感じる今日この頃です。

大河ドラマ『真田丸』も、あれよあれよと話が進み・・・。

見ていらっしゃる方はご存知でしょうけれども、

すでに武田勝頼も織田信長も穴山梅雪も滝川一益も姿を消してしまいました。

「え?」という感じのあっという間の展開ですが、

当時は現代のようにテレビもラジオもスマホもパソコンもなかったわけですから

詳しい情報を得ることもままならなかったわけで・・・。

しかも、真田家の話ですから、それらの有名な歴史上の人物のことは

すべて、あっさりと過ぎていくのが当たり前で・・・。

それにしても、信長が死んで2週間後ぐらいには北条軍が攻めてきて

さらに、上杉軍だ〜徳川軍だ〜と6月、7月、8月〜

あの手この手であちこちの軍勢が信濃に向かってくるわけですから、

その中にあった当時の真田家や信濃の人々はさぞ大変だっただろうな・・・と思います。

 

さて、今日のお題の『松代城』(海津城)〜。

院長&副院長、2月中旬、松代に行ってまいりました。

まずは「真田宝物館」。

真田家のいろいろな資料が展示されています。

真田昌幸のものと伝わる有名な甲冑

→「昇梯子の具足(のぼりばしごのぐそく)」

(『真田丸』でも、草刈正雄さん演じる真田昌幸の後ろに

胸のところに梯子が描かれている鎧が置かれていますが、あの鎧です〜☆)

真田信幸や真田信繁の手紙なども数多く展示されています。

そして、その後、「松代城」へ。

『真田丸』のオープニングで出てくる門をくぐって、中に入り・・・。

真田信幸が上田から移されて、松代10万石を治めた城・・・。

真田信幸も、当時、きっと感慨深く思ったであろう『海津城』です。

松代城は海津城と呼ばれていた城で、

あの有名な武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いに出てくる城です。

松代城跡から、ぐるりと眺められる四方の山々、川中島方面、妻女山、千曲川・・・。

「この信濃の山々や風景は、ずっと変わらず我々を眺めている。

私はこの風景がとても好きです。信濃はとてもいいところです。」

『真田丸』で真田信繁役の堺雅人さんが、しみじみとそう言っていましたが

この風景を見ていた信玄も、真田家の人々も、この城に来た他の武将たちも

その当時、どんなことを思ったり考えたりしていたのだろう〜と

しみじみとその風景を見ながら昔々に想いを馳せるひとときでした。

 

 

 

 

砥石城(戸石城)〜!!

2016年になりました。今年も宜しくお願いいたします。

・・・と新年のご挨拶をしたばかりと思っておりましたら

早や2月〜。

皆様におかれましては如何お過ごしでしょうか?

2月になってしまいましたが、1月のある日のことを書かせていただきます。

 

それは、1月11日(成人の日)のこと〜。

前日にNHK大河ドラマ『真田丸』の第1回目の放送があり

歴史好きな院長&副院長は楽しく見て、さあ、その次の日のことです。

お正月からポカポカ陽気が続いてお天気の良かった今年初め。

この2016年1月11日も朝からとても良いお天気でした。

ふと、「真田へ美味しいお蕎麦を食べに行こう!」ということになり

その後、「昨日のドラマで台詞に出てきた『砥石城』に行ってみたい!!」。

副院長は、それまで『砥石城(戸石城)跡』に一度も行ったことがなかったのです。

「何もない、ただの山なんだけれどなあ〜」と、笑って言う院長・・・。

しかしながら、副院長たっての希望で『砥石城跡ツアー』突然の敢行〜!!

昔、登ったことがあり、日頃から脚力に自信のある院長は

ひょいひょいと登っていきましたが、一方、副院長は・・・。

途中までは『なんだ、大したことないじゃないか〜』という山なのですが

それは、砥石城と米山城の分岐点までのことでした・・・。」

(後半へと続く〜)

 

砥石城・・・上田市の北側に位置する真田一族発祥の地である真田町に

入る手前にあった城で、砥石城のすぐ西側には米山城があった。

信濃の豪族の村上義清が築城した城で、

武田信玄が大敗北をしたという「砥石崩れ」で有名〜。

その堅固な城を、真田信繁(幸村)の祖父にあたる真田幸隆が

あっという間に攻略して、真田家が手に入れた城。

 

さてさて、この砥石城と米山城の分岐という地点から、

急勾配の山道を15分ほど上がると砥石城跡〜とのこと。

15分・・・大したことないじゃないか〜と思った方や、

歴史に興味のある方は、ぜひぜひ登ってみてください。

何度、途中で登るのをやめようと思い、足を止め、

呼吸を整えるために深呼吸を繰り返し、

手首に手を当てて何度も脈を測ったりしたことか・・・。

しかし、しかし〜『真田信幸や信繁の見た風景をこの目で絶対に見たい!!』

今年初めての強い強い欲望がぐるぐると渦を巻き、頭も体も支配して、

よろよろし始めた足をどうにか一歩一歩と前に歩ませ・・・・・・。

さあ、ついに砥石城の頂上へ!!「やったあ〜!!登りきったあ〜!」

 

「・・・。ん?何?こんなに狭いの?」という、しかしながら狭い狭い頂上〜。

『あれれ〜ちょっと拍子抜けな感じかも・・・』。

しかし、院長や登ってきていた方々全員が「ものすごい景色だなあ〜」と

木々の間から見える景色をじい〜っと見つめている姿が目に入り・・・。

やっと息を整え、その景色を見たとき、

なるほど、それまでの苦労や疲労感は全て吹き飛びました。

真田信幸・信繁兄弟がその昔に見たであろう

目の前に広がる信州上田小県の素晴らしい景色。

千曲川や現在の上田駅の場所、上田城はもちろん、

小諸の方から押し寄せてきた徳川軍の旗頭もすぐに見て取れたであろう東側。

西は遠く川中島のあたりまで見通せたと思われ・・・。

そして、側にいた方が「今日は、ほら、あそこに富士山も見えるよ」と

丁寧に教えてくださり・・・。

大きくそびえて見える蓼科山のすぐわきに富士山の頭が確かに見えて・・・。

新年早々、上田から初めて見ることのできた富士山〜。

この出会いに思わず手を合わせて拝みました。

 

400年以上前、信州上田の地ををかけめぐっていた真田一族の人々は

どんな思いで、ここ砥石城からこの風景を眺めていたのだろう〜と、

しみじみとしみじみと遠い昔に思いを馳せる1日となりました。

 

 

今年も宜しくお願い申し上げます

2016年(平成28年)

あけましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い申し上げます。

 

昨年10月、ある神社にお参りに行ったときのこと・・・。

その神社の神使が猿ということで、

「勝」(まさる)というお守りや

「魔が去る」=「まさる」というお守りなどがあり

なるほどなあ〜と思いました。

今年は申(さる)年。

いろいろなことに『勝(まさる)』年であり、

1年間、笑顔でいられる『魔の去る(まさる)』年であってほしいと思います。

そして、猿という字は音読みで『えん』。

皆様にとりまして、素敵な『縁(えん)』がたくさんある年でありますように。

 

素敵な未(ひつじ)たち〜

2015年(平成27年)の初め

「『未が来る』と書いて・・・『未来』!

どうぞ素敵な未(ひつじ)が、たくさん来る1年となりますように〜」

と、書きましたのもすでに遠い昔・・・。

残しますところ、今年(未年)もあとわずかとなりました。

今年1年は、皆様にとりましてどのような1年でしたか?

素敵な未たちがたくさんたくさん押し寄せてきましたでしょうか?

たくさんではないけれど、とっても素晴らしい未が1匹だけ来たよ!という人もいるでしょうね。

身の回りでも日本や世界中でも、今年1年、さまざまなニュースや出来事がありましたが

あなたにとって今年出会った素敵な未をぜひ思い出してみてください。

ふわふわとしたあたたかな気持ちにさせてくれた素敵な素敵な未たち・・・

きっと誰にとりましてもたくさんいると思います。

素敵な素晴らしい未たちに心からの感謝を・・・。

 

今年のブログは今日で最後です。

1年間、ありがとうございました。

来年初頭にお会いいたしますのを楽しみに〜。

あ! そうそう・・・

ちなみに、ここ信州上田は来年の大河ドラマ『真田丸』に向かって

まっしぐら〜という状態です。

あとわずかの今年ですが、まだまだ素敵な未が来るかもしれません。

さまざまな出会いは突然ですから・・・。

そして除夜の鐘〜。

皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

 

 

13月〜?!

2015年12月となりました。

信州上田、今日は朝から快晴です。

朝晩の冷え込みは日に日に冬本番へまっしぐらという感じですが

日中の陽射しの暖かさや澄み切った青空に心が癒される今日この頃です。

四方の山々の頭は白くなり始め、

東側に見える浅間山も、相変わらずもくもくと煙を漂わせながら白い姿になってきています。

 

12月になると毎年思い出すのが、遠い昔の祖母のひとこと。

「あ〜、忙しい、忙しい。13月がある人は、いいわねえ〜(笑)」

私が中学生か高校生の頃だったと思うのですが、

これを聞いた私は『きょとん?』という状態になり・・・。

「おばあちゃん、何? 13月ってどういうこと?」と聞きましたが

祖母は笑うばかりで答えてくれませんでした。

毎年12月になると、その祖母の笑顔と「忙しい忙しい」と言いながら

ちょこちょこと動き回っていた姿を思い出します。

 

今年も残しますところ、あと1ヶ月。

皆様、何かと気忙しい毎日を過ごされることも多くなるとは思いますが、

13月があるような心持ちで日々を過ごしていただきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

すべての歯は他の臓器と同じく・・・

『すべての歯はほかの臓器と同じく生涯とともにあるのだ』

・口は人間にとって、すばらしいものだ。それは人間の情緒においても、

日々の生活にとっても、また人間の美しさにとっても・・・・・。

・口—それは、いままさに私が生きていることを表している。

・もし動物が歯を失ったとき、その動物の死を意味する。

歯を失ったとき彼らは生き続けることは不可能であり、

その生は終わりを告げ、やがて彼らは死んでいく。

・人間にとって、口は会話を楽しみ、愛を語り、しあわせ、よろこび、

怒り、悲しみを表す。

・口は愛情の入り口であり、食べものをとり、生き、

そうして人間は栄えていく。

・だからこそ、口はどんな犠牲を払おうとも、十分な注意と管理を

受けるだけの価値を持っている。

( Dr.ハロルド・ワース )

 

 

いい歯の日

11月です。

毎年、11月8日は『いい歯の日』。

平成5年(1993年)に日本歯科医師会が11と8の語呂合わせで

『いい歯(118)』ということで制定されました。

今年は、ちょうど日曜日となり、

日本各地でいろいろなイベントが行われたことと思います。

前回「口とは・・・?」という話を書かせていただきましたが

では「歯とは・・・?」。

 

「歯とは?」と聞かれてすぐに思い浮かべるのは次の言葉。

『すべての歯は他の臓器と同じく生涯と共にあるのだ』

まだ若かりし歯学部の学生時代に、部活動の先輩から教えてもらい・・・

『おお〜。深いなあ〜。いい言葉だなあ〜』と、しみじみ思ったのを覚えています。

このDr.ハロルド・ワースの言葉は、その後にも続きがあり・・・。

『口とは・・・』という説明が続いていくのですが、

このDr.ハロルド・ワースの言葉は、

次回のブログに書かせていただきたいと思います。

楽しみにお待ち下さい。

口とは・・・?!

『口とは、何でしょうか?』

つい先日、ある研究会に出席する機会がありましたが

主催された先生から、突然、そういう質問がありました。

その場に出席されていた歯科の先生方が、一瞬、考え込んだ感じになりました。

『口とは?』と聞かれ、禅問答のように即答しなければならないとしたら

なんと答えればいいのだろう〜と、私自身も頭をフル回転させました。

一番前に座っていた先生が指名され、

「口とは、健康の元です」と明るく答えられ、

その瞬間、会場全体がふわ〜っと明るい雰囲気になりました。

質問された先生は、非常に満足げに頷かれて、

「そうですね。とても良い答えです」と言われ、続いて静かに次のように言われました。

「口は、『命の源』です。

『命』という漢字の中にも『口』という字が入っていますよ。」

 

松代藩・真田十万石まつり

かなり秋が深まってきている信州上田です。

朝晩の冷え込み具合が、例年よりも早いような気がしておりますが

ニュースでは数日前に富士山が初冠雪となったという報道があり、

これは例年より少々遅かったのだとか・・・。

とにもかくにも、テレビで冬用タイヤやら除雪機のCMが流れ始めていて

一気に冬に向かってまっしぐら〜という感じになってきている今日この頃〜。

 

さて、今日の題名は『松代藩・真田十万石まつり』。

こちら信州上田よりもさらに北に信州松代というところがありますが、

こちら松代は、1622年に真田信之(真田幸村の兄)が上田藩から入封して

幕末までずっと真田家が治めたというところです。

来年の大河ドラマでどのように描かれるかはわかりませんが、

この真田信之(幸村の兄)は、家族の中ではその父と弟の間に入り、

さらに真田家の長男として、あちらこちらの大名を始めとするいろいろな人間と

さまざまなコミュニケーションをしなくてはならない立場にあった〜という方。

中島歯科クリニック副院長は、実は、真田家の中で、この信之がお気に入りです。

歴史上に名前を残し人気のある弟の真田幸村よりも、

いつの頃からか、その幸村の兄である信之のことが気になるようになりました。

父と弟の間に入り、さぞ苦労したことだろう〜とか

小松姫という大変さっぱりとしたきっぱりとしたお嫁さん(本多忠勝の娘)との間柄は

どんなだったのだろう〜とか、

上田藩から松代藩に行かされ、さらに93歳という当時としては珍しく長生きをした方で

戦国時代を知り尽くし、徳川家3代に仕えた〜という一生は一体どんなものだったのだろう〜などなど

弟と違って、歴史上に大きく名を残した武将ではないけれども

きっと見えないところで数えきれないような苦労やさりげない心使いや気配りなどをした

たくさんの魅力にあふれた、とても人間臭い方だったのでは・・・と思うからです。

来年1月から始まる大河ドラマでは、俳優の大泉洋さんが演じられるそうで、

その飄々とした演技を個人的には大変楽しみにしているところです。

 

話が少々、長くなってしまいましたが、つい先日、今年の松代藩の真田十万石まつりが行われ、

残念ながら、観に行くことはできなかったのですが、

その信之役の大泉洋さんと小松姫役の吉田羊さんがゲストとして招かれたそうです。

真田丸の四方山話しは今後も、折があれば書かせていただきたく思っています。

どうぞ、よろしければ、おつきあいくださいませm(_ _)m

 

真田丸〜☆

シルバーウィークも過ぎて、

そろそろ2015年9月も終わりとなる今日この頃・・・。

秋もかなり深まってまいりました。

皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか?

さて、来年の真田信繁(幸村)が主役のNHK大河ドラマ『真田丸』の撮影が

ここ信州上田を含めた長野県内で9月初めから始まりました。

新聞や市の広報といった紙面にロケの様子の記事などが載るようになってきています。

来年に向けて、じわじわと観光その他も盛り上がり始めているようです。

以前のブログにも書きましたが、歴史好きの中島歯科クリニック院長&副院長〜。

『真田検定』という真田家についての歴史検定があるのですが、

この検定を2人仲良く受けまして、一昨年は3級、

昨年夏には、見事、2級に合格いたしました。

真田家のことが出題される検定ですので、

真田家の人物のことは勿論ですが、同時代の他の歴史や人物についてなども出題されます。

歴史好きの方はご存知でしょうが、

真田家の人間たちはその当時の非常にたくさんの武将や地域と関係してまいります。

戦国時代の武将たちは、自分の家や自分自身が生き残るために

あの手この手の交渉や、それぞれのコミュニケーション能力をかなり発揮するわけですが、

数ある武将の中でも真田家の人間達は、

特にそのコミュニケーション能力が非常に独特なものであったと思います。

真田家のことについて書いてある当時の資料もいくつか残っていますが、

その当時でも、かなり独創的な発想をする人物が多い一族だったような話が書かれています。

そんな真田家の人々が、遠い昔に、

多分、今と同じで変わらぬ信州上田の山々を眺めながら、

何を想い、何を感じ、何を考えて生きていたのだろう〜と、

現代の2015年に生きている自分が、

上田の街の中、上田城公園の中、四方の山々や雄大に流れる千曲川〜といった風景を眺め

優しく吹いていく秋風を感じながら、遠い昔に想いを馳せることができるということを

とても面白く楽しく愛おしく感じる今日この頃です。

ドラマの撮影も始まりましたし、このブログにもここ信州上田の現在の様子なども含めまして

つらつらと真田幸村や真田家のことなどを書き綴っていきたいと思っております。

どうぞ、月に2回程度のブログですが、来年の12月まで、

『あら?また、歴史の話? また真田家の話? 他の話題を書いてほしいな〜』などと

思われる方もいらっしゃるでしょうけれども、

どうぞ宜しくお付き合いのほど、お願い申し上げます。